桜雨を感じる頃に

時々思うことを書き散らしたり、書き留めるdiary

携帯電話

最近、携帯関連の記事ばっかり続いてるけど、今回も。
私は携帯電話というものがなぜか好きで、持ってなかったころは憧れを持ってて、同級生の中でもいち早く親に買ってもらった。でも携帯は相手がいないと使えないので、携帯を持ってない同級生ばかりの中で、私はメールする相手もいなくて持て余してた。でも実際同級生が携帯を持ち始めると、メールに縛られて、いいことばっかりだったとは言えない。
その頃の携帯の使い方は電話とメールとあと着メロをネットでとったり待ち受け画像をとったり。懐かしー。そんなことにお金をかけてた。
そんな私が使っていた携帯電話は、国内初の折り畳みケータイを開発したNEC製一辺倒。
Nのケータイって一時期ブランドみたいになってたけど、NEC製の新機種の携帯は発表されるたびにチェックしてた。
スマホにするときもNにしようかと思ったけど、評判が悪かったからやめた。今ではNECスマホ事業からは撤退している。
私の最後のガラケーもNだった。ピンクの折り畳み。持ちやすくて気に入ってた。スマホの便利さに惹かれてスマホにしちゃったけど。

私の変な所として、携帯電話のことになると緊張しちゃうということがあった(といっても電話やメールがくるのが負担だったというわけではなく)買うときの色選びのときに緊張しちゃう。
どの色にしようか迷うとき、失敗なく買いたいと思って思わず考えすぎてしまうクセみたいなもの。
その結果、失敗したこともあった。長く身につける品物なのに、あとで色を後悔したりして。服などを選んで買うときはそんな緊張や後悔はあまりないのに。
そのクセみたいなものは、最後まであった。最後のピンクのガラケーも買ってから白色の方が良かったかなと思う始末。今ではピンク色で良かったと思ってるけど。

なんでそんなに携帯電話に固執してたかなぁって思ったら、なんだか携帯には自分だけの世界があるような気がしたからかもしれない。他人とのコミュニケーションが親を介せずできる。自分しか使わない外と繋がる道具、に思えて魅力を感じたのかもしれない。でも実際はただの無機質な電子機器のような気が今はするんだけれど。
スマホに変えてから、携帯電話への特別な思いというのはなくなった。便利なモノとしか思わなくなった。携帯電話が自分だけの世界を持つことに繋がるという意識は消えた。実際はスマホの方がよりそういうことが可能になってるかもしれないけど。
というわけで私の携帯電話事情(?)です。

ガラケー全盛期は色々夢があったなぁ…スマホはすごいと思うけれど。